ささやかすぎる贈り物
「こんにちは」
とても吃驚した。
冬、吹きすさぶ強風が冷たい。空から落ちてきそうな、鉛色の雲。
「自殺志願者ですか?」
「あなたもですか?」
質問には答えず、逆に聞き返してやる。
屋上にいたのは、同級生の男子だった。直接の面識は無いが、何度か見かけたことはある。記憶が確かならば、彼は生徒会か何かに所属していたはずだった。
「はい。自殺日和ですしね」
「ですねえ」
よく分からないが、肯定しておく。
私は今日、ここに、飛び降りにきた。
前々から生きるのに疲れていた私であったが、「死」というものの恐ろしさ故なかなか自殺できないでいた。しかし、先ほど四時間目の授業を受けていて――別に、授業の内容が死に関係していたわけではない――ふと、今なら死ねる、と感じた。効きすぎた暖房で頭がゆるんでしまったせいだろうか。数学科教師の鬱陶しさのせいだろうか。理由は分からないし、別段追求するほどでもない。とまれ、こうして昼休み、この屋上にたどり着いたのだった。
昼休みであるから、誰かがいるかもしれないということは予想していた。自分が飛び降りようとするところを止められてしまうかもしれないとも思った。しかし、ごく普通に声をかけられるとは思いもしなかった。しかも自殺志願者に。
予定が崩され呆然としている私に、彼は手を振ってきた。こちらへ来いということなのだろうか。フェンスにもたれかかる彼に近づき、取り敢えず空を見上げてみた。
「何で、飛び降りを選んだんですか?」
空を見上げてからしばらく経ったとき、彼は聞いてきた。
「は?」
「何故、他の自殺方法では無く、飛び降り自殺を選んだんですか?」
「何故って、これが一番簡単に手に入れられる環境だったから」
校内で、一番簡単に、楽に死ねる方法といったら、これしかないだろう。調理室から包丁を持ってきて腹を切るのはあまりにも面倒だ。第一、調理室の鍵を借りるための理由はどうすればいいのだ。職員室で「自殺したいので調理室の鍵を貸して下さい」なんていえば良いのだろうか?
「ああ」
彼は軽く苦笑して、
「まあ、そうですね。俺の理由とか聞いてみたかったりします?」
「いいえ。結構です」
妙に勿体ぶって言う彼に、秒殺で拒否する。
人の自殺願望を聞いて、何が楽しいのだ。そんなことより、さっさと飛び降りてしまいたかった。早くしないと、このクリアな感情が濁ってしまいそうだ。恐怖を感じない内に、早く。
「校庭に生徒会長の死体が落ちている学校なんて、そうそうないと思うんですよ」
生徒会長だったのか――彼は私の精一杯の拒否を無視して告げてきた。
「……で?」
「いえ、あとは特に何も。ただの愉快犯的な自殺です」
「……」
生徒会長が、自殺。彼が自殺した後の学校はさぞ見ものだろう。地元の新聞やテレビにも取り上げられるかもしれない。インタビューがあれば、人々はこう言うかもしれない――「彼のような優等生が、どうして?」
「でも、ですね」
彼は一度フェンスに体をひきつけ、その反動で後ろに軽く跳躍した。私は、ただ彼を見守っているだけ。
「できないんですよ。飛び降りるのは簡単なことなのに、出来ない。きっと、失ってしまいたくないんですね。この生活を。失ってしまいたいはずなのに。矛盾です」
「とても面白そうな計画なのに、残念」
本心だった。見届けたいほど、素敵なアイディアだと思う。
「あなたは、今、ここから飛び降りるんですか?」
「私は、」
「もうすぐクリスマスですね」
自分から質問したくせに、私の答えを遮った。
「俺は、クリスマスに飛び降りようかな」
何が可笑しいのか分からなかったが、彼は愉快そうに笑って言った。
「本当は」
彼は制服のポケットに手を突っ込み、何かを取り出した。
「本当は、俺がここで、演出の為に使おうと思ってたんですけど。もしよろしければ差し上げますよ。あなたは飛び降りに理想を持っているわけでは無いのでしょう?」
演出、とは、校庭で血まみれになって発見されることを望んでだろうか。
彼が手にしていたのは、工作用のカッターナイフだった。これで死ね、ということだろう。
「少し早いけど、クリスマスプレゼントです」
「リストカットで死ねるんですか?」
「さあ……」
生徒会長は、あくまで無責任だった。
「じゃあ、僕はこれで」
彼は去り、残ったのはこのカッターだけ。私は今、死ねるだろうか。
このフェンスを飛び越えるだけで死ねる、このカッターを腹に刺せば死ねる。死とは、なんて簡単に手に入るのだろう。
「……」
沈黙と、静寂と。どちらだか分からないような、曖昧な静けさ。
決断は、
「もう死ねないかも」
クリスマスまで、自殺は延期しようか。クリスマスになっても死ねなかったら、その時はその時だろう。
生徒会長からもらったささやかすぎる贈り物を投げ捨て、一つくしゃみ。
ああ、また死にぞこなってしまった。
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