還元
赤い目をしたお月さまが怒鳴ります。鬼はどこだ、鬼はどこだ。僕も毎晩一緒に探してあげるのですが、鬼は見つかりません。鬼とはどういう形状をしているのでしょうか。どこに行けば見つけることが出来るのでしょうか。
いつだったか。僕は葡萄色の液体を飲みました。それが本当に葡萄ジュースだったかは分かりません。とても暗い紫色をしていましたが、味は葡萄とは別物だったのです。吐き気のする甘さに怯えながらも、僕は一気にそれを飲み干しました。
君は僕のことが好きだと言いました。君の冷たい指先が、僕の頬を舐めるように這ってゆきます。ひんやりとしたその感覚に気を失いそうになりながらも、僕は君を突き放しました。君の瞳孔が見開かれます。君が好きだという僕は、僕では無いのです。僕が知っている君が君では無いように、僕も僕ではないのです。本当の僕なんて、僕にも分かりません。誰か教えてくれませんか。お月さまなら知っているでしょうか。
君は毎晩あのお月さまを見上げますね。妙に弛んだ表情で、君はいつもお月さまを見つめています。その瞳があんまり真っ直ぐで綺麗なので、僕も真似して見上げてみました。
夜の帳を降ろして、お月さまは昨日と今日の境界線を引きます。こちらは昨日、そちらは今日。煌煌と輝く星たちが闇の中で踊ります。鳥達は山へ沈み、木木は神を唄い、冷たい旅人は夢を見て。海は死を囁き、神は人を裁き、少女は暖かな布団の中で。
躍動する夜を感じて、目が眩むほどの陶酔を僕は感じました。何という美しい夜でしょう。穏やかに吹く風はこの夜を祝福しています。
お前が鬼か。
見上げると、真赤な目のお月さまがいました。嗚呼、今夜は記念すべき夜。お月さまは僕に問いかけているのです。
お前が鬼か。
僕はゆっくりと頷きました。
鬼がどういうものなのか、僕にはわかりません。けれど、僕は本当の僕すら知らないのです。僕は誰なのでしょうか、鬼はどこにいるのでしょうか、君は何を思うのでしょうか。夜がざわめきます。きっと、僕も君もお月さまも鬼なのでしょう。嗚呼、本当に、美しい夜。お月さまは僕へと手を伸ばします。お月さまの掌の中はとても暖かいものでした。夜がざわめいて。お月さまが叫びます。殺せ、美しく、生きろ、唄え、溺れろ、飛べ! 全ては眠り、お月さまへ戻されて。
最後に見えた夜は、あの時飲んだ葡萄ジュースの色をしていました。嗚呼、何て美しい不自然。
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