一億総生贄化計画

 世界には約六十八億人の人間がいるのだから、一億人くらい死んでも大丈夫。それが彼女の言い分だった。
「ね? 六十八分の一よ。それくらい居なくなっても人類どうってことないわ」
 彼女は軽く言う。
「良質の作物を作りたいのなら間引きをするべき。それと同じよ。平和で愛に溢れた、理想の世界を作りたいのなら、人間を減らせば良いの。ラブアンドピースって大切だもの。問題はどうやってぴったり一億人減らすかよね。戦争が起きれば楽にたくさん殺せるけど、それじゃあ本末転倒だわ。毒殺で大量殺人なんて出来るわけがないし……皆自殺してくれないかしら!」
 真剣に悩む彼女は、思わず抱きしめたくなるほど愛らしかったのだが、そんなことはその時の俺でも七年たった現在の俺も不可能だった。理由は言わずもがな。十年越しの片思いである。我ながら、世界的にトップレベルの一途さだと思う。
「計画の実行は……そうね、十二年後! この計画を、一億総生贄化計画と名付けるわ!」
 そう彼女が宣言したのが中学一年の時である。そして、先日行われた同窓会で彼女はこう述べた。
「あと五年……理想郷は目前だわ」
 不吉な予言である。あと五年で彼女は犯罪者……これはなんとも遺憾である。
「聞いて、私、お金と結婚するのよ。あの計画の為に、よ!」
 嬉々としてその結婚相手の年収を語る彼女を見つめながら、俺の精神は来たる(俺以外にとっての)理想郷にとんでいた。結婚? 彼女が? あり得ない話では無い。彼女は、俺の語彙では語りつくせないほどの魅力があるのだから、男が寄ってくるのは仕様がないことだ。が、しかし。
 そんな俺の頭にひとつの名案が浮かんだ。それは、俺も彼女も幸せになる素晴らしい案だったが、実行に移せば間違いなく人として越えてはならない一線を踏むことになる。俺は迷った。彼女の、俺の、世界の幸せ。迷いに迷った結果、俺は決断した。
 あの、一億総生贄化計画を逸早く実行するのだ。


 そんなわけで俺は今、とある人物が住むマンションの傍まで来ている。
 自動販売機で適当な茶を買いつつ、件の人の部屋があるであろう階を見張る。特筆すべき点もない、ありふれたマンションだ。目立った異変もない。
 俺の考えた計画とは、実に単純明快である。彼女が行動を起こす前に、例の計画を実行するのだ。
 彼女の婚約者を、殺す。彼に、この計画の第一犠牲者となってもらうのだ。
 彼はここに住んでいるという。情報の出所は恋する青年の秘密だ。
 取り敢えず自宅にあった包丁を持ってきた。大丈夫、十年モノのこの恋を女神は叶えてくれるはずだ。
 マンションの入り口から男性が出てくる。色白で背が高い。歳は俺よりも少し上だろうか。懐に入っていた写真と見比べて、そいつが彼女の婚約者であることを確認する。マンションを背景に立つそいつは、はっきり言って地味。絶対に彼女に合わない、というか許せない。
 憎悪が少し増したところで、深呼吸し決意を固め、よし、レッツキル。
 懐の包丁を握りしめ、足早にそいつに接近していく。距離が五メートルほどに縮んだところで、そいつが俺の姿を目でとらえた。困ったように小首をかしげながら、
「何か私に用でしょうか」
 細い声かと予想していたら、丁寧に軽蔑の意を隠したような声だった。
「世界の人口、知ってますか?」
「は?」
 疑問は、時間稼ぎ。
 俺と彼女と世界の幸福の生贄となれ! 懐から包丁を取り出そうとしたその時。
「真田君?」
 え? こんなところで彼女の声?
「貴方達、知り合いだったの?」
 状況判断した結果。

 彼女、同棲してたの?

「ど、同棲?」
 混乱のあまり足がもつれた。
 無様に転ぶ俺。
 かたいアスファルトが視界いっぱいに広がったところで、俺は計画の失敗、もとい恋の終わりに気付いた。殺人未遂で逮捕? 俺の牢獄生活中に、彼女はハッピーエンド?
 嫌な妄想は止まらない。顔を上げると、彼女の笑顔が待っていた。
「馬鹿じゃないの! 何も無いところで転ぶなんて、二次元だけだと思ってたわ!」
 ころころと、可笑しそうに笑う彼女。羞恥で首を吊りたくなる。
「同棲? してないわよ。この人? お兄ちゃんじゃない。昔遊んだことなかった? 結婚? 何それ?」
 次々と俺の疑問を解決していく彼女。というか兄ってなんだ。そんな落ち、それこそ二次元だけろう。
「ああ! この前の同窓会の! 嘘に決まってるじゃない? 私みたいな淑女がそうそうに結婚するわけないもの。計画はどうするのかって? あんなの信じてたの? 嘘に決まってるじゃない、馬鹿ね!」
 次々と暴かれる真実。
 嘘だろ、というか嘘つきすぎだろ。
「嘘も方便……恋する乙女は法律をも超越するのよ。十年モノの私の恋、どうしてくれるのかしら?」
 は?
「あの頃は気を惹くために言ったんだけど」
 誰の?
「物わかりの悪い人ね。だから、私と結婚していただけない? ということよ」
 え、俺と?
 彼女は顔を紅潮させ微笑んだ。俺の知っている彼女の中で、一番美しかった。
 俺は、初めて彼女を抱きしめた。



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